日本語と英語で実は違う
比喩を経て変化する言葉
- 皆島 博
- MINASHIMA Hiroshi
- 国際地域学部 教授(言語学)
Profile
1964年、福岡県生まれ。1993年、筑波大学大学院文芸?言語研究科博士課程単位取得満期退学。1993年、福井大学教育学部講師、1997年、同大教育学部助教授、2009年に同大教育地域科学部教授、2016年、同大国際地域学部教授となる。
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言語のルーツを辿る
私が英語以外の外国語に触れたのは、中学の音楽の時間で習ったシューベルトの「魔王」です。当時の音楽の先生は「ドイツ語でお父さんは『Vater(ファーター)』。英語の『Father(ファーザー)』に似ているでしょう」と言われました。なんで似ているのだろうと気になり調べてみると、ドイツ語は英語と同じ起源の「インド?ヨーロッパ語族」に入ることがわかりました。そこから外国語に興味を広げ、大学では言語学を専攻しました。
比喩で作られる“意味”
日本語の動詞「食う」を英語に訳すとどうなるでしょう。「食べる」という意味で言えば、「eat」と訳すのが普通ですが、日本語では「こんな稼ぎでは食っていけない」のように、「生計を立てる」という意味で「食う」を使います。
このように複数の意味を持つ「多義語」に着目し、日本語と英語の多義語を“認知意味論”の理論および手法を用いて分析しています。
英語の「sweet」を日本語の「甘い」と比較しても両語とも「砂糖やはちみつをなめた時の味」が基本になりますが、日本語には「採点が甘い」「ブレーキが甘い」など、甘くない方がよいものに対して「甘い」を使うことでネガティブな状態を表すことがあります。これらの例で、「甘い」は最も基本的な意味「味覚」ではなく「味覚」以外の意味で使われています。他に「甘い香り『味覚』?『嗅覚』」「甘い音色『味覚』?『聴覚』」の例でも、本来「味覚」を表す言葉を他の感覚にまで拡張して使用していますが、これを概念メタファー(比喩の一種)といいます。このように多義語の意味は基本の意味から比喩を経ながら拡張していくと認知意味論では考えるので、言葉同士の共通点を見出した仮説を立てることができれば、他の言語にもこの研究を広げていくことができます。
今後、日本語や英語だけにとどまらず、ほかの言語の多義語にも焦点をあて、言葉の意味が派生する仕組みを研究していきたいです。
Google Earthでバーチャルの海外旅行をしたり、外国の街歩きをしたりするのが面白いと思っています。過去に実際に訪れたところを見て懐かしむことも。